雑想

最近、精神的な落ち着きを大切にして毎日生活している。精神的な落ち着きとは、人それぞれだが、自分の場合は、自己意識を自分に集中させることで得られる気がする。自分の気持ちや感情の波をいろいろ考えてみる。どんな場面やどういうことで感情が上下に動くのか、自分自身に気を配ってみるのだ。また、何かひとつのことに意識を集中しているのも、精神的に楽な状態だと感じるようになってきた。外側の世界に注意が散漫すると、精神的にも疲れてしまう。自分に集中することが大切だと気付くことができた気がする。
飼犬が13歳(人間年齢で70歳とか)になって、最近よく吠えるようなったんだけど、すごい何かを要求しているようなんだよね。「ワン!(寒い!)」「キャン!(腹減った!メシくれ!)」みたいな。一部、人間の老人と同じだなと思った。
日常生活で話していて、あるものを知らない人に、それが何かを0から順序立てて説明するって案外むずかしい。

雑記

やりたいことがたくさんあるんだけど、ごちゃごちゃに混乱気味におちいる。今までふとした思いつきで、勉強したり遊んだりすることが多かったけど、きちんとToDoListや予定を立てたほうがいいのかなと思う。

最近、毎日同じような格好の服装を着ている。さすがにインナーなど肌着は同じ物を何着も揃えて着ている。毎日同じ格好をしていると、気持ちが落ち着いて精神的に楽だ。いちいち洋服を選ぶ時間や手間が省ける上に、似合ってる、おかしい変だ、など考える必要もないからだと思う。というわけで、黒メルトンPコートとベージュのチノパンという無難なコーデで毎日を過している。

ここ数日で、ドイツにまた興味を持ち始めている。なぜか高校生の頃からドイツという国に惹かれて、大学での第2外国語はドイツ語を選択した。その他にも、歴史やサッカー、環境デザイン、そして哲学や思想などいろいろな分野でおもしろいと思う。

断片

日々やるべき重要な課題は、朝起きて一番でやると最大に効率がいい。もしくはお昼に仮眠取った後。十分な睡眠は頭をよく働かせるために必要だ。一日の終わりには疲れたりして、とても頭が働かない。取捨選択の言葉のように、有限のリソースを効果的に使用して、大きな成果をあげるよう心がけることが大切だ。
自分が一人生きて行くだけでほんと精一杯だ。将来、誰かを養ったり守ったりして、幸せにしてあげたいとは今は到底考えられない。まず最初に、自分が一人でも強くならないといけない。
日々、新しい情報が生まれてきては消えていく。世界の動き方は、目が回るほど回転が早くなってしまった。毎日、膨大な情報やコンテンツに接していると、それだけで時間が経ってしまう、自分自身の時間が吸収されて消費されていくような感覚に陥る。
こうして日常生活でふと考えたことや思ったことを、断片的にでも記していくことは、日々を振り返るときに役立つ。自分が何を考えていることを、時間を置いて客観的に省みることができるからだ。

興味と専門分野

もうすぐ大学の最終学期が終わるけど、結局自分が学びたいことは独学するしかなかった。当初それに関係する専攻コースやゼミもなく途方に暮れた。結果的に、ハンナ・アーレントエリック・ホッファーみたいな、政治哲学や社会哲学が面白くて大好きになれたのでよかった。
また、別の方面では、マーシャル・マクルーハン、ベネディクト_アンダーソン、A・アパデュライみたいなメディアコミュニケーション論も興味を持った。カールポッパーやトマス・クーンみたいな科学哲学も。フーコーチョムスキーボードリヤールなど現代思想もおもしろかった。これらの思想を、完全に理解しているかというとまだまだ。だからこそ、これからも時間の合間を縫って、独自に学んでいきたいと思う。
なので、自分個人の場合、学部の最終学年〜卒業間近になって自分の専門分野がわかってきたように思える。それまで怠けていたわけではないが、回り道をしながら、いろいろな著作を読む必要があった。まず第一に、自分が学びたいことを探して見つけるために勉強しなくてはならない。その後、その専門分野を学ばなくてはいけない。その点において、学ぶことの面白さと難しさを知ることができたのかと思う。

数学

最近、数学を独学で学び直している。恥ずかしながら、中学高校とろくに理系科目を勉強しなかった。もともと小学生時代から中学入試などの難しい算数は苦手だった。正解や解法が一つに決まっていることに対して、漠然とした疑問を持っていた。
個人的に数学が必要だと感じた理由は、大学に入り、いろいろな分野や科目の本を読んでいて、特に経済学とインターネットに興味を持ったからだ。経済学の理論的な分野になると、微積分や線形代数などが数式が用いられるために、数学の素養が必要だと感じる場面に出会う。また、インターネットの分野においても、プログラミング言語が土台となっており、それらは数学との親和性が大きい。元々、コンピュータは演算処理目的の計算機として発達してきたからだ。このように、物事を考える際には、論理的思考方法が必要になる。一般的に広い意味においてロジカルな考え方を習得したり、向上させるためには、数学を学ぶことは有益だと改めて考えさせられた点にある。
そういうわけで、時間や暇があれば、数学の参考書と問題、ウィキペディアの数学ページを眺めている今日この頃。

最近、人生の不可逆性について考えさせられる。人間の一生を、点と点を結ぶ線分に例えたとき、時間の経過と共に、生から死へ一方方向に進んでいく。この時間の経過に抗うことの出来ない、時間の針を戻せない、一瞬の時間に大きな重さを感じる。今のこの何気ない一瞬は、この先、二度と戻ってこない一瞬なんだなと。ふとたまに、ある瞬間において1秒の時間の使い方は、自分の人生において意義のあるものなのかと省みてしまうことがある。意味のある時間の使い方とは、一体どういうものだろうか。
また、時間についての考察だけれども、最近は、一方方向性の時間概念に対する疑問が浮かぶ。一般的に、時間という概念は、川の流れのように、一方通行の流れだと捉えがちだけれども、実際はそうとも言えない。一歩通行ではなく、事象の周期や循環の考え方だ。自然や社会において、自分たちの身の回りにはそのような周り巡る現象は数多く見られる。四季の移ろいもそうだし、星の周期や、食物連鎖、生物体内の循環器系など、この世界において物理的な変化の事象は、循環や周期をモデルに動いている。
時間については考えれば考えるほど、よくわからないおもしろいものだと思う。

何が重要か

今まで考えることに時間を使ってきた。
10代の頃から社会や人間について考えることが大好きだった。人は日常の思考が価値観となり、世界観となるのではないか。そのような価値観は言葉と行動となり、人生を決定づける。

大多数の人間は、成功や豊かな人生を望む。では成功とは何だろう。豊かさとは何だろうか。経済的なお金か。社会的な地位か。モノが溢れる社会か。そのようなお金や肩書きなど社会的な価値観とは、果たして実質的な意味があるものだろうか。社会的な価値観の要素のおおくは、本質的には重要なものではないとも考えられる。それらを求め手に入れるために、貴重な自分の人生を消費してもいいのだろうか。
そのようなことをここ数年よく考える。