友人との再会

久しぶりに友人の一人と会った。およそ一年ぶりの再会だった。その人は、自分で目標を定めて、その道を進み続けて、途中で苦難や失敗もあったけれど、一山超えてものすごく逞しく大きくなっていた。こうやって自分で自分を乗り越えてゴールを目指す人間は本当に尊敬する。先に行かれてしまった感は否めないが、こういう友人を持ててすごく幸せだと思うことがある。僕個人としては、苦労や失敗をすることが重要とは思わないが、自分の進んだ道を全うする姿勢に対してものすごく尊敬する。楽観も悲観もすること無く、自分は自分の道を行くだけだが、こういう関係はものすごく刺激になるし、自分も頑張らならなければならないと自分を鼓舞できる。
それぞれ進む道は違うけれど、お互いに意志や価値観を尊重できる関係は素晴らしいと思う。僕はあまり友人関係は華やかな方ではないし、つまらない人間と付き合うぐらいだったら、一人でいるほうがずっと好きなタイプだ。それに、誰かを友人親友云々だと言及していて、肝心なその相手が自分のことを友だちと思ってくれていなかったら、虚しいし悲しいので泣いてしまう。
その人とは、おもにお互いの自分の価値観や考え方について話すことが多い。自分は哲学や形而上学など正解のない不毛な議論が好きで、相手はどちらかというと合理的で経済学的な考え方をするタイプなので、相手には申し訳ないと思いつつも付き合ってくれてしまう。その日、その友人は自分の決断の重要性について強く述べていて印象に残った。自分で決めたことを自分で達成するということは、大切であるということは誰しもが思うところであるが、実際にそれを実行したり行動に移すとなると困難が伴う。いくらでも自分に言い訳ができるし、怠けることができるからだ。これは自分にも当てはまることだと日々痛感しているところで、自分が独自の道を行くからには、自分が自分をマネージメント(自己管理)することがとても重要になる。その人は、自分の決断の大切さや、それに伴う努力の継続が、何らかの勝負や試練における最終局面で運(偶然による成功要因)を手にできると言っていた。彼と話していて、そのようなことについて改めて教えられた気がする。
また、彼はそもそも自分が進む道を決めるとき、どうやって決めたかと尋ねたところ、日々の行動の積み重ねが道を作っていったと話していた。たった20数年間の人生における過去の経験から考えて探りだして将来への道を切り開くことも重要ではあるが、その道に入ると決めた時やその後に、例え迷ったり抜け出したくなっても、その道を確実に歩むことが、道標になったという。
彼はまだまだ最終目標地点に向けて努力をしている途中ではあるが、第一関門という壁突破したことを祝福して、その姿勢を自分も見習いたいと思う。