外側の世界

海外に行きたい。外の世界をこの目で見てみたい。世界の国々にはいろいろな世界が広がっているはずだ。今の自分の若い時代は、もう二度と帰ってこない。このまま、もしかしたら一生死ぬまで日本という小さくて狭い世界に居続けて良いのだろうか。
世界はいま本当に激動の時代を迎えようとしている。海の向こう側では、何十億という人々が豊かな経済を求めて爆発的に増えている。グローバリゼーションによって、世界はフラット化している。このままでは、日本は沈みゆく老大国だ。沈没していく豪華客船にいつまでも乗っているよりは、例え自分一人でもボートに乗って漕ぎ出したい。一緒に心中するのは御免だ。
これからの日本は、国としてではなく、個人として独立して生きて行くべきだと思う。これまでのように国としての日本が世界地図にあるのではなく、個として独立した日本人が世界で戦っていかなくてはいけない。現在も既に、クリエイティブな創作家やスポーツ選手たちは、日本という内側の世界を出て、海外の世界中の国々で活躍の場を求めて活動している。現代の開かれた時代において、彼らのように国境を超えた分野では、日本一国のトップではなく、全世界のトップを目指すことは、至極当然の選択かもしれない。
「現状維持は、衰退の始まり」という言葉を聞いたことがある。当初この言葉の意味がよくわからからず、現状維持という怠けた状態が自発的な衰退の原因という意味と考えていた。本当の意味は、競争原理の中にある。激しい競争社会において、現状維持に甘んじていれば、ライバルや競合者に追いつき追い越され、”相対的に”負けてしまって終わってしまうのだということに気付いた。競争社会を嫌う人間も多いが、(かろうじて)今も豊かな日本人の生活は、これまで国際貿易の比較優位によって築きあげた富の上に成り立った。これが、社会の一つの現実だと考えざるをえない。これも有名な言葉だが、「グローバリゼーションは、選択ではなく現実である」。